いつものようにA君は12時頃にやってきて,一緒に給食を食べました。
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食べるとき,私はミラーリングをしながら,しばらく適応指導教室での勉強の話をしました。
「勉強って言えば,小学生のころの勉強って,いま考えるとどう?」
「けっこう簡単だなぁて思わない?」
「思います」
「でも,やってるときは必死だったんだよね」
「はい,けっこう難しかったです」
「でも,いまは簡単でしょ?」
「はい」
「1つ上の段階にいくと,その前のことって,意外と楽に感じるから不思議だよね」
「そういえば,卒業式だけど……」
「この前,お母さんが『卒業式は遠慮します』って言ったとき,A君は『まだ決めたわけじゃない』って言ってたよね」
「はい」
「卒業式に出ることを目標にしたらどうかな?」
「…………」
A君の反応が薄いので,話題を変えました。
「ところで,いつごろから『学校へ行きたくないなぁ』とか『人と話すのがいやだなぁ』という考えが頭の中に入ってきたの?」
「1年生の終わりごろからです」
「ふーん,そうなんだ。」
私が「頭の中に入ってきた」という尋ね方をしたのは,A君がそう思ったのではなく,外部からその考えが入ってきたという,「外在化」をするための発言です。
「でもね。どうすれば解決するか,本当はA君は知っているんだけど,その知っているということを,知らないだけなんだよ」
「わかる?」
「君は,どうすれば解決するか,知っているということを知らないだけなんだよ」
「…………」
これは「混乱技法」の一種です。A君は,しばらく言葉をかみしめるようにしていました。
ここまでのやりとりは,問題をもっと具体的にして,二人で解決を作り出すための準備のつもりで行いました。
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「教室をのぞきに行ってみようか?」
「だれかが挨拶してくれたら,何か合図を返してあげた方がいいよ」
「校長先生。適応指導教室の先生が,『緊張したら,緊張しましたと言っていい』と言ってました」
「えっ,A君は緊張してるの?」
「いまはしてないです」
「そうか。もちろん,緊張していたら緊張してるって言っていいんだよ」
「でもね。緊張することは,実はいいことなんだけど,知ってた?」
「???」
「だって,オリンピックのときだって,選手は緊張してると思うけど,あれは緊張するから力を引き出せるんじゃないかな」
「緊張ってね,人間の力を引き出してもくれるものなんだよ。だらけていると力は出ないじゃない。適度な緊張は,いいんだよ」
「でも,緊張しすぎたら,先生に言ってね」
「はい」
このへんの内容は,緊張をリフレーミングするための,口からでまかせですので,あしからず。
「じゃあ,行こうか。この前より少しゆっくり歩けるかな?」
「はい,できます」
A君と私は校長室を出て,少しずつ教室に近づいていきました。
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教室に向かうとき,私は「分離」という技法を使いました。
分離とは,物事を分けて考えることです。
人間は時間を年・月・週・時・分のように分けて考えます。このように,「分ける」ということは,人間にとって自然なことです。そこで,これを利用して,一つの行為や行動を分けて捉えさせる方法があります。例えば食べるという行為も,最初の一口,二口目などと分けられます。
私は,教室へ行くという行為についても,最初の曲がり角まで,次の曲がり角まで……というように,分離してA君に考えさせました。
はじめの曲がり角まで来たときに,「緊張した?」とA君にたずねました。すると「大丈夫です」と答えが返ってきました。
また数メートル歩いて,「緊張した?」とたずねると,「平気です」という答えが返ってきました。
とうとう教室の前に来たとき,以前ならA君は早足で通り過ぎていましたが,この日はよりゆっくりと歩いていました。そして,教室の中の様子も見ようとしていました。
また,途中では何人かの先生に出会いましたが,自分から挨拶をしました。
教室の前を通り過ぎたあと,緊張したかどうかを確認しました。緊張は無かったとの返事が返ってきました。
試しに「もう一度,通ってみる?」と聞くと,意外にもA君は「はい,行きます」とすんなり了承し,再度教室の前を通って校長室に戻りました。
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校長室に戻ってから,再びA君にたずねました。
「どうだった? 緊張しなかった? 無理しなくていいからね」
「はい,大丈夫です」
次回の約束をして,面接を終了しました。
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